ーまずはじめに、日本アドを始められた経緯を聞かせてください。ー
大学を卒業して日本合成ゴムというところに就職したんですよ。ここは当時の国策会社で、まぁ大きな会社ですね。そこで東南アジアなど、さまざまな海外研修を経験して、3年目に欧州担当の話がきたとき、辞めようと決意しちゃった。当時は海外駐在なんていうのは憧れでもあったんですが、これに行っちゃったらしばらく辞められないな、というのもあったのかな。人事部の人で大学の先輩なんですが、その人には怒られましたよ。「おまえひとり育てるのにいったいどれだけかかってると思うんだ」ってね。当時は若かったから、そんなこと分かってなかったけど、いまなら分かりますね。新卒でとって3年育てて、辞めますって言われたらがっかりするよね(笑)。まぁ、そんなこと言われないような会社にしなければいけないってことだけどね。会社を作ったのは昭和44年(1969年)僕が27歳のときです。銀行取引の関係で兄の名前とお金を借りました。今は若くして起業する人も多いけど、昔は珍しい部類に入るかもしれません。社名は、はじめから日本アドとしました。“アド”なんて付けるのは、当時は珍しかったですね。アドバタイジングが最初からやりたかったんですよ。銀行に行ったら“日本ドアさん”なんて間違われたりしたけどね(笑)。
ー会社が目指しているのはどのようなことですか。ー
我々が目指しているのは、一言でいえば、「マーケティングに基づいたクリエイティブのスペシャリスト集団」ということですね。日本アドは関連会社として経営情報出版社という会社も持っているんですけど、これは“中小企業に特化したマーケティング情報”という非常にユニークな情報を提供する会社でね、銀行や全国の税理士会などにも情報を提供しているんです。そのようなマーケティング情報を、さらに精度を上げていって、それに基づいたクリエイティブを提供していくというスタイルを推し進めていくのが、これからの日本アドのとるべき方向じゃないかと考えていますね。これはクリエイティブに限らないんだけど、僕が言っているのは“3ation(スリーエイション)”を常に忘れるな、ということなんですよ。“3ation”というのは、“Imagination”“Creation”“Communication”の3つの“ation”のことなんだけど、想像する力と、創り出す力、そして伝えあう力、この3つのバランスがとれて初めて良いものが生まれるんじゃないかなと思っているんです。それとコミニュケーションは“伝える力”じゃなくて“伝えあう力”ですからね。一方的に伝えるんじゃなくて、聞き取る、受け止めることも大事なんです。ここのところを誤解している若い人は、最近多いんじゃないかな。
ーでは、社長はどのような人材が良いと思ってらっしゃるんですか?ー
日本アドが求めているのはスペシャリストですね。その人が何をやりたいのか、はっきり持っている人かな。会社というのは個性的な人を求めるとか言いながら、実はバランスがとれている人を採用しがちなんだけど、“個性的”というのはバランスを欠いているということなんでね。そういう無い物ねだりをしちゃいけない(笑)。ひとりの人間がオールラウンドである必要はないと思うんですよ。ある意味“オタク”であっていい。それをサポートするのがコミニュケーションなんだから。ある分野でのスペシャリストとそれを統合する人とで、ポジションに応じて目線の高さを変えて分業していけばいいんでね、ひとりの人にすべては求めません。グーグルなんかを見ると、ゆるーく囲われてて、みんな好きなことをやってるみたいだけど、実はあるベクトルを持って進んでるでしょ。そういう組織が理想ですね。みんなが自由に意見を言って、自由に議論ができる会社にしたい。早稲田っていう土地柄もあるのかもしれませんけど、ウチは自由ですよ。仕事が終わったら学生街独特の雰囲気があるところですからね。安くておいしい店もいっぱいあるし、“飲みニケーション”の場所探しには困りませんよ(笑)。